春のカウナス旅行記//杉原千畝のいた領事館を訪ねて【世界一周リトアニア編】
圧巻の風景である十字架の丘を満喫したリトアニアのシャウレイからバスでやってきたのは、中央部にある地方都市カウナス。
特に目立った観光地ではないここカウナスにやってきた理由。
それは、日本のシンドラーと呼ばれる偉人「杉原千畝」ゆかりの地だからなのです。
二人は、ここカウナスで何を思うのでしょうか?
Shukuに虫の知らせが…
昨日あたりから「なんとなく観光する気が起きない。やる気が出ない。」とつぶやいていたshuku。
朝、僕が少し遅く起きると、shukuはこう言いました。
これは、第六感って言うんですかね。
僕もたまに胸騒ぎがする時がありますが、当たった事はないです…。
shukuのおばあちゃんは100歳を超える長寿。
僕は一度だけ入籍時に挨拶に訪れた時にお会いしましたが、99歳にしてしっかりされてるなぁという印象でした。
今日の予定で訪れる場所は一カ所だけなので、午前中は家族との連絡もあるだろうから宿でゆっくりすることに。
カウナス領事館跡にある杉原記念館へ
杉原千畝記念館
そして午後、向かった先は杉原記念館。
カウナスの街の中心部からは、徒歩圏内で、少し坂を登った静かな住宅街の中にその建物はありました。
MAP 杉原記念館 公式 杉原記念館
杉原千畝さんとは?
杉原千畝さん
杉原千畝さんについては、Wikipediaに詳しいです。
杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 – 1986年(昭和61年)7月31日)は、日本の官僚、外交官。
第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くが、ユダヤ系であった。海外では、「日本のシンドラー」などと呼ばれることがある。
僕たちは、杉原千畝さんのことを知らなかったので、NHKのドキュメンタリー番組を見て予習。
その大変勇気のいったであろう行動にとても感動しました。
僕たちが訪れた2015年には、唐沢寿明さん主演で映画化もされています。
杉原記念館は日本語教室に??
杉原記念館の入口
入り口から建物に入ると…ん??なんか違う…。
リトアニア女性がいたので声を掛けてみると、ここはアジアの文化を学習する場所らしい!?
ここで、日本語ペラペラのリトアニア青年が登場。
ここでは、日本語教室が開かれていて、生徒は20人位。
以前は日本人の先生がいたが、今はリトアニア人の先生なのだそう。
これは日本語で会話しました。
まぁ、それにしても普通に会話できたのに驚きましたね。
彼は、日本には行った事がないそうで。
彼を見ていると、別に現地に行ったことがなくても、語学って動機や熱意次第なんだなと感じました^^;
当時を再現したデスク
さて、肝心の杉原記念館は、建物を少し下に降りた横のドアとの事で無事発見して入館。
以前は寄付制だったようですが、今は入館料を払います。(※2019年11月現在大人4ユーロ)
命のビザ
デスクの上には、あの数千人のユダヤ人の命を救った命のビザのレプリカも置いてありました。
すべて手書きで、かなりの文章量。
これを数千回も繰り返したと思うと、本当に命の重さを理解されていた方なんだなと感じます。
当時の気分を味わう
色々見ていると、部屋にいるのが僕たちだけだったからか、「デスクに座って写真撮っていいよ。」と係のおっちゃん。
若干不謹慎かなと思いながらも、せっかくなので二人でデスクに座って撮影(笑。
その後は、杉原千畝の故郷である岐阜県制作の日本語のドキュメントビデオが上映されるとのことで鑑賞。
NHKのドキュメント番組とは、また違った角度からの説明もありとても勉強になりましたね。
杉原さんの救った命からは、今も新たな命が誕生し、これからも救出した命は増え続けることでしょう。
いつまでも伝え続けていきたい功績ですね。
本日のランチ
最後は本日のランチ。
スーパーマーケットでお惣菜を買いました。
全般的にハイカロリーで濃い味付け、これで5ユーロくらい。
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