ニャマタ教会を訪問!!ルワンダの大虐殺の現場を実際に見る
ルワンダの首都キガリに滞在中。
今日は、虐殺の舞台になり一晩で1万人以上が殺されたニャマタ教会を見に行きます。
実はルワンダ、そんな場所がたくさんあり、至るところにメモリアルが存在しなす。
私達は、ケニアのナイロビで出会って昨日再開したカズヤさんに教えてもらい、訪れることにしました。
その教会の名前は『Nyamata Church』今は『Nyamata Church Genocide musium』となっています。(maps.meで検索可能)
その名の通り、Nyamataという町にある教会です。
<ニャマタ教会の場所>
大虐殺が起こった1994年4月。
フツ族からの暴行から逃れて、ツチ族がやってきた教会。
彼らは熱心なキリスト教徒でもあったので、まさか神の前で殺戮は起こらないだろうと最後の希望として教会を選んだ人、また教会に逃げれば安全だとフツ族に騙されて集まった人など、その数一万人以上。
元々、教会は安全な場所でもなんでもなく、虐殺を行いやすいようにツチ族が1箇所に集められただけでした。
そこで行われた大虐殺。
ツチ族の人も、もちろん抵抗しましたが、その武器は石や木の棒のみ。
ナタや拳銃、棍棒、手榴弾を持っているフツ族に敵う訳ありません。
多くの人がたった一晩で命を落とし、教会の中にはその人々の死体が折り重なるように転がっていたそうです。
その死体が着ていた衣服が並べられているのと、その人々の骸骨の展示があるそうです。
キガリの『Nyabugogo』バスステーションからまずは、バスカードがいるバスに乗り『Nyanza』まで。
ニャンザからバスを乗り換え、『Nyamata』のミニバスステーションで降り、1キロ程歩くか自転車タクシーに乗ると到着です。
バスの車内
こんな道を歩きます。
この看板が曲がり角の目印です。
バスカードは1000シリング。(500シリング分は運賃としてチャージされます)。
3人で一枚のカードを使いまわそうと思ったけれど、1人一枚必要だと言われました。
『Nyabugogo』〜『Nyanza』 250シリング(35円)
『Nyanza』〜『Nyamata』400シリング(55円)
入場は無料ですが、私達は最後にある寄付ボックスにいくらか入れました。
教会の外観です。
新しい教会は隣にあり、昔使われて大虐殺の舞台となった教会は今はミュージアムとしての働きをしています。
新しい教会の中身です。
虐殺が行われた古い教会の中は写真撮影禁止なので写真はありません。
と言うか、さすがに撮る気分にもなれない位、生々しいものでした。
映画や昨日の博物館でみた写真や映像の記憶が新しいからか、展示された衣服から当時の様子が容易に想像できて、実際にこんなむごい出来事があったことを現実として見せられます。
衣服の一部には、今、埃がどれくらい積もるのか実験しているから触らないでとありました。
その部分以外は触っても良いようでしたが、さすがに触る気にもなりません。
階段を降りた地下には、無数の頭蓋骨と部位別に分けられた骨が展示されていました。
切れないナタや棍棒で何度も殴られて殺されたので、いくつかの頭蓋骨には大きなヒビが入っているものや、穴が空いているものもありました。
小さな子供は何度も壁に叩きつけられて殺されたそうです。
女子供にも容赦なかったようで、人間ってこんなに残酷になれるものなんだと驚きと同時に信じられない思いで一杯になりました。
教会の裏にあるもっとたくさんの人の骨が収められているところに、ガイドの人が連れていってくれました。
こんなにたくさんの人が一晩で、殺されたと思うと本当に怖い。
ガイドしてくれた彼はツチ族の生き残りでした。
当時、19才だったそうです。
フツ族の過激派民兵は、誰かに雇われて行っている仕事のように人を殺していったようです。
だからご飯の時間になると自宅へ帰り、食事をとり、再び帰ってきて殺戮が終わると今日の仕事はここまでだと言って帰っていったようです。
武器を与えられ、何年も前からトレーニングされた彼ら。
国は民間人がやった大虐殺としていますが、誰かが描いたシナリオ通りに踊らされたようにしか思えない出来事です。
ガイドの彼も壮絶な人生を送っているのでしょうが、湧いてくる疑問を全て質問することはできませんでした。
今は、フツ族もツチ族も同じ場所で生活しています。
自分の家族を殺した人が、目の前に住んでいるケースもあります。
それは、政府が大虐殺が終わったあとに、同じ場所に住むなら住居を国が与えると約束したからだそうです。
欧州国家が植民地化するまでは、同じ種族として仲良く暮らしていた人々。
宗主国となったベルギーが支配しやすいよう、お互いがお互いを見張るようにと、人為的に種族をわけられたルワンダ人。
元々、農耕民族と牧畜民族がいて、肉のほうが高く売れる為、牧畜民族のほうが裕福で見た目も目が大きく鼻が高く顔もシュッとして良かったようで、鼻の高さを計り、見た目が良い、牛を何頭か以上所有している者、そんなくだらない分け方で作りだされた民族がフツ族とツチ族です。
ツチ族のほうを優遇した為、フツ族の嫉妬や恨みが長年に渡って積み重ねられ今回の大惨事に繋がりました。
意図的に作られた劣等感、長年の嫉妬というのは怖いものです。
それにしても、こんな酷いシナリオを描いた人物が腹立たしい。
大虐殺は20年前に終わったけれど、人々の苦しみはまだまだ続いていることをひしひしと感じ、やるせない思いになりました。
教会を出て、隣に建てられた新しい教会に行きました。
大虐殺以降、キリスト教を辞め違う宗教を選んだ人も多いようです。
大虐殺が始まった日から毎日、神様に祈って祈って、でも神様が何もしてくれないと分かった時、どんな気持ちだったのでしょう。
宗教ってなんなのかも考えさせられました。
こんな時でもお腹が減る私達。バスターミナルの近くのバイキングのお店に立ち寄りました。
ルワンダはバイキング形式のレストランがたくさんあります。
バイキングって言ってもおかわり禁止の一度盛り付けたら終わりなのと、肉や魚は1つだけだったり、別料金になることが多いバイキングです。
でも自分で選べるのは嬉しい。
まぁ、おかずはだいたいどのお店でも一緒なんですけどね。
キガリでは『Fantastic Restaurant』が安くっていろんな種類のおかずがあることで有名です。
私達も行きたかったけど、なんだかんだと機会を逃し行けないままでした。
お腹もいっぱいになったところで行と同じくニャンザを経由してキガリに戻ります。
ニャンザの虐殺記念館
ニャンザにも虐殺記念館がありました。
本当にルワンダには至る所にジェネサイトミュージアムや慰霊碑があり、本当にどこでも大虐殺が行われたんだなと実感させられます。
こちらでもガイドの方に話を聞くことができましたが、この辺りの当時の様子がルワンダ入国前に予習として観た映画「ルワンダの涙」の内容に酷似していました。
「ルワンダの涙」でも、神父が郊外にある教会で虐殺された人々を見てしまうシーンがあり、もしかしたらこのニャンザやニャマタをテーマとした映画なのかなと思いました。
キガリに戻って市場に寄り道。
ここにもたくさんの布が売られていました。布屋さんも町の至るところにあります。
全部伝統的なルワンダの布かと思いきや、いくつかは中国産でした。
時代ですなぁ。
ここで大好きなマンゴーを購入。大きいマンゴー4つで1000フラン(140円)でした。
そして夜ご飯、
明日は少し遠出して『Murambi Genocide Musium』に行ってきます。
ディスカッション
コメント一覧
今回のレポ-トは読む度に気分が重くなります。虐殺を行う人間の狂気をどの様にしても理解できません。私も少なからず世界を歩いている割にメンタリティが低いのか、その現実に目を背けたくなります。死者は何も語らず犯した罪を省みる事ないのが人の性なのかと暗澹たる思いが過ぎります。私は中国の古代史に少なからず造詣があるのですが、人間の同族による生存に関わらぬ虐殺は数えきれぬ程に繰り返されています。その原因には少なからず宗教が絡むものも多く神の定義が如何にいい加減で曖昧かを物語っています。欧米の友人は無神論者に対して神無き世界の空しさを私に説きますが神の名の下に行われる残虐な行為を知れば知るほど私は神から遠ざかります。キリスト教やイスラム教の原理主義の排他性や残虐性に焦点が集中しがちですがミャンマ-やタイでのロヒャンギに対する仏教徒のおぞましいまでの虐殺を知れば宗教そのものの有り様すら疑問に思えてなりません。他人の信仰を否定はしませんが、宗教のそもそもの原点は相互生存の保証であり、互いの無理解への架け橋であるべきと私は考えているだけに本当に理解ができません。本来有るべき姿と異なるものを宗教は創造し、相互の破れぬ壁を作り、欲望と憎しみの源泉となっている現実をルワンダの20年前がその証左に思えてならなくなります。正直、吐き気を催す程に嫌悪を憶えてしまいました。ただ、人間の本質の一部に悪魔を凌ぐ本性が隠されている現実を知るには、この現実から目を反らしてはならず忘れてはならぬ事だと強く思い、改めて救いのない人の世の無情を垣間見る思いとなりました。しかしながら、人は空腹を憶え生きるために食べる業深き者であるならば、この有り様を二度と繰り返さぬ思いと意思を持たねばならぬと考えてしまいしまた。
toripapanさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
そうなんです。本当に人間がこんなことができるのか僕にも理解できないのです。
虐殺から20数年、虐殺終了後、逮捕・収監され、刑期を終えて日常生活に戻っている元フツ族過激派も増えていると聞きます。
しかし、あのような残虐な行為を平気で行った人間が、滞在している街にいる…。
正直、ルワンダのキガリ滞在中は、どこか不安をずっと持っていました。
それは、ケニアのナイロビでの不安とは違う恐怖感。
今、この瞬間に暴動や虐殺が開始するかもしれないと言う恐怖でした。