ムランビ虐殺博物館へ!!被害者の無言の訴えを感じる[行き方情報有]
ルワンダの紙幣に特定の人物像はない
どうも旦那です。
ルワンダの首都キガリに滞在中。
一昨日のキガリ虐殺記念センター、昨日のニャマタ教会に引き続き、今日も1994年に起こったルワンダの大虐殺にまつわる土地を訪れます。
向かうのは南部の都市フーイエ。
そのフーイエの郊外にあるムランビ虐殺記念館。
こちらも、首都キガリのキガリ虐殺記念センターのようなパネル展示と、そして他の記念館とは違う特徴があるのです。
首都キガリからのアクセスは、ニャブゴゴバスターミナルからミニバスでフーイエまで。
料金は2510フラン(350円)。所要時間は2時間半程度。
この10フランが曲者で、お釣りがない時があるんですよね〜。
でも2500フランでは絶対乗せてくれません。ツルセコ^^;
道中は、千の丘の国と呼ばれるルワンダらしい深い緑の美しい風景が続きます。
アフリカでこれほど整った田んぼを見たことがありません。
ルワンダ人って真面目な性格なんだなぁと感じます。
フーイエに着いたら、そのままバスターミナルからニャマガベ行きのミニバスへ。
料金は510フラン(75円)。所要時間は30分程度。
だから、この10フランなんなの??
さらにニャマガからムランビ虐殺記念館までバイクタクシーで。
料金は500フラン(75円)。所要時間は10分程度。
バイタクには10フランないんですね。いや、あったら乗らないですが^^;
キガリから4時間近く掛けて、ムランビ虐殺記念館に到着。
記念館は、静かな丘の上にポツンとありました。
入口のそばの朽ち果て建物跡。
ガイドの方によると、この建物の中でも虐殺が行われたそうです。
そして、松明。
この松明は、虐殺が始まった日から終結した100日の間、毎年火を灯し続けるのだそうです。
記念館のある丘は、周りをより高い丘で囲まれていました。
この場所は、すでに裏切っていた市長や司祭が安全だと言ってツチ族の人々を集めた場所。
そして、この場所を守ってくれるはずのフランス軍が突然去った後、周りの丘からは連日フツ族の民兵の罵声が飛び交っていたそうです。
この場に残された人々の、不安と無念は計り知れません。。。
ムランビ虐殺記念館もキガリ虐殺記念センターと同じく入館は無料。
寄付箱が設置されているので、お気持ちはそちらに。
また、写真撮影は一切禁止です。
内部の展示パネルは、キガリ虐殺記念センターをコンパクトにした感じ。
しかし、このムランビ一帯で行われた虐殺の様子や生存者の証言などのコーナーが独自にあり興味深かったです。
そして、内部の展示を見終えたあとガイドの方が、建物の裏手に案内してくれました。
もともとこの場所には専門学校があったそうです。
寮があり、多くの学生が学んでいました。
その寮の跡に置かれていたのは…
虐殺された方々の遺体を石膏で固めたものでした。
他の場所では、すべて遺骨という形で展示されていましたが、ここでは多くの遺体が石膏で固められて並べられていました。
全ての窓とドアが開けられ、風通しはいいはずですが、中は死臭と言うものでしょうか、今まで嗅いだことのない臭いが充満していました。
そして、遺骨では分からなかったこと。
それは、どの様な最後を迎えたのか。
ほぼ白骨化していますが、表情も少しは読み取れます。
手や足の態勢で、当時の状況が少し垣間見えます。
そして、やはり幼児は壁に何度も叩きつけられたのでしょうか??頭部が変形しているものが多かったです。。。
この展示や遺骨の展示に関しては、世界から非難の声も上がっています。
日本人である僕も、遺体は火葬し埋葬するのが当たり前ですから、とても違和感を覚えました。
しかしながら、彼らがこの悲劇を二度と起こらせないために、現場に残って訴え続けているような気もします。
これでルワンダの観光を終えたいと思います。
この悲劇が起こった当時、僕は高校生でした。
この事をニュースでちらっと見た記憶はありますが、以後まったく忘れていました。
きっと自分とは縁のない遠いどこかの国のことだと感じていたんでしょうね。
僕が感じた様な他人事感覚が、この惨劇を止められなかった原因の一つかも知れません。
もう二度とこのような悲劇を生まない様に、国際社会全体で監視し合わないといけないですね。
亡くなられた方々のご冥福を深くお祈りします。
明日は、ルワンダを出国してタンザニアに入国です。
ディスカッション
コメント一覧
当時、既に30代であった私はこの事件は耳にしていました。しかしながら、遠いアフリカの惨劇は、それまでの内戦、飢餓、難民、疫病、旱魃と止め処なく続く不毛な出来事に、それ程、大きな関心が向きませんでした。アフリカへの支援はバンドエイドに限らず十代後半から二十代にかけ色々と行われ、いつしか、その様な事で何も救われぬアフリカの現実に別世界の事と無関心になっていたのかもしれません。あの時代、ベトナム戦争が終結し、東西冷戦が幕を閉じたにも関わらずカンボジアのポル・ポトによる虐殺やボスニアで行われた民族浄化が連日報じられても感心を寄せることもありませんでした。三十代後半から頻繁に公私共に海外に出かける事が増え、最近は得も知れない緊張感を感ずる事があります。中国で反日デモが絶頂に達したとき期せずして北京に居た時に感じた憎悪漂う空気を再び感ずる思いがあります。それが解決にならずとも人の無知や無関心は残虐な行為への引き金に成り得ると考えています。今回のレポ-トは、私にとって本当に重苦しいテ-マでありましたが大変、勉強になりました。最後に死者への尊厳と火葬の関わりは、今回の展示には不要な事で国際的非難も的を射てはいないと思いました。この悲惨な現実をより、現実感を持って知らせるには必要な事であって、少なくともルワンダの人はそれを望んだのであれば彼等以外にそれを非難すべき者はいないと思います。人権活動家を称する人間、特に欧米の人々は近視眼的な事象だけではなく、アフリカの混乱の原因の一端が自らにあること省みて発言する必要があるはずです。未だにアフリカの利権に暗躍する全ての国々が皆、この虐殺の荷担者であった思っています…
toripapanさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
今もなお欧米諸国や中国、日本もアフリカ諸国に対して裏から手を回しているように感じます。
それが、ルワンダの虐殺を反省材料に、発展という良い方向に向かえば良いのですが…。
taxiさんの丁寧な返事に恐縮してしまいます。私はある縁で中国人女性と結婚をして子供が一人います。そもそも、彼女との歳の差25歳もあり、正気の沙汰ではないと思いながらも色々あって結婚をしました。彼女は高校、大学と日本語専攻で既に日本在住も5年に入り夫婦仲の問題はないのですが、日中関係の悪化は表面的には現状維持に見えて一頃より悪化の一途を辿っている様に感じています。これは私の私感なのですが「教育」で人の資質を変えるには限界があると考えています。中国は小学校から反日教育を始めます。そして共産主義の思想教育も刷り込みます。日々テレビでは反日ドラマが溢れかえり、余り日本では報じられませんが戦時下の日本軍の悪行をドキュメンタリ-も日々報道しています。その様な環境で育った彼女の自ら持つ日本への感情はマイナスではありません。ある時、CCTV(中国の国営放送)を観ていると「こんなニュ-ス誰も信じていない…」と吐き捨てる様に言います。そのニュ-スはロ-カルなもので、不思議に思い訊ねると「政府は都合の悪い情報は絶対に流さない、そんなの皆、知ってるけど口に出さないだけ…」と言います。その意味を後で知るのですが、彼女は高校のブログラムで日本にホ-ムステイをしました。その時の日本は、まるでアニメで観た世界と同じで日本の情報には嘘が少ないと感じたそうです。彼女は90后と呼ばれる1991年生まれで湖南省の第二都市出身です。経済の発展が顕著になった時代の生まれでテレビで日本の一休さん、セ-ラ-ム-ン、ドラエモンを観て育った世代だそうです。そして、インタ-ネットの情報化時代に多感な時代を過ごした故にその情報への好奇心は相当あります。彼女達はその情報の波の中から正しい情報と操作された情報を無意識で精査し、判断している第一世代なのかもしれません。この情報に対する中国人の敏感さは日本人には到底理解できない次元にあります。実は年配の人でも政府の操作された情報を鵜呑みにはしません。教育は政体や為政者次第では操作された情報でしかありません。それを疑う気持ちが無ければ教育による改革は無意味だと思っています。ルワンダの惨劇は、ラジオ局の情報操作が相当な役割を果たしていると感じました。これに疑問を持ち正しい情報を求めればもう少し状況は変わったのかもしれません(そうならなかった歴史のifは語るにしかずなんですけどね…)。私は中国人を観ていると正しい情報を彼等に与える事で変革が訪れるような気がします。しかしながら、習近平はそれを恐れ情報鎖国政策を急ピッチで進めています。教育によるモラル改革は時間と公正な手法がなければ成立しないことを考えると百年の計となります。それょり早く効果を上げるには正しい情報を彼等に与える事だと思っています。色々と整理出来なかった問題を考える機会となって感謝しています。この先の旅が安全で実り多きものであることを祈念しています(^^)
topripapanさん、こんにちは。
インターネットが普及して、そしてスマートフォンが広まったここ15年くらいで、情報の概念が与えられるものから調べるものへと変化したと感じます。
若い世代の人たちは、情報は調べるのが当たり前だと思っていることでしょう。
今まで、情報統制を敷いていた国々の管理者達は戦々恐々としているでしょうね。
もちろん、このインターネットが新たな情報統制の手段とも考えられますが。その対抗手段としては多言語の習得が有効だと思っています。
新たな世代の意識の変化に期待したいですね。
日本人は、国や人種で差別することはいけないことだと教育されていますけど、差別や嫌悪を肯定している国々も多いでしょうね。
イスラエル人にイランは良い国だったと伝えると露骨に嫌な顔をされますし、逆もまたしかり。
しかし、その歴史的背景をみるに仕方のないことだなとも思います。
血縁者が、その国の人間から被害を受けていて、でも許しましょう、受け入れましょう、は辛いですから。。。