ムズズからマニャムラへ。命を頂く体験。鶏を絞めて捌く
ハマる車
どうも旦那です。
マラウィのムズズに滞在中。
今日から、マラウィで活動する青年海外協力隊(JICA)の隊員の方の家でお世話になります。
朝10時にムズズのスーパーマーケットに集合するので、今朝は早起きして6時半頃に宿をチェックアウトし、いつもの「COFFEE DEN」へ。
ここでインターネットをしながら、コーヒーを頂きます。
今回も、トロさんはご同行。
カフェでも、大人しく待ってくれています。
集合時間になったので、スーパーへ。
今回、お世話になるのはベッキーさん。
ベッキーさんはマニャムラという街を中心に、乳幼児の保健衛生や栄養指導などを現地の職員と一緒に行っています。
マニャムラは大きな街では無いので、ムズズのスーパーで買い出し。
ムズズにあるスーパーマーケット「SHOPRITE」は、南アフリカ系のスーパーで、現在マラウィには3ヶ所にしかないんだそう。
マラウィ北部のJICA職員は、地元に無いものの買い出しはムズズまで来て行います。
その後は、マトラ(ミニバス)で移動。
ムズズからマニャムラへの移動は、まずはムジンバ(Mzimba)へ行き、そこからマニャムラへのバスに乗り換えです。
ムズズームジンバ間の料金は一人1500クワチャ(240円)。所要時間は2時間弱位。
バイバイ!!トロさん!!
ここで、トロさんとはお別れです。
このマトラ、1時間半くらいも客待ちしていたのですが、トロさんはけなげにずっと待っていてくれました。
Shukuは、トロさんをいたく気に入ったそうで、日本に連れて帰りたかったようですが^^;
ムジンバに到着、ここは県の中心なので北部のカロンガのような規模の街。
ここで、生きた鶏を購入します。
一匹3000クワチャ(480円)。
ムジンバからマニャムラへは、トラックの荷台型のバスで1000クワチャ(160円)。
しかし、今日は日曜日。バスは、すでにありません。
キリスト教系の国の日曜日は、旅人にとっては魔の日曜日。人々があまり移動しないので、バスが少ないのです^^;
仕方がないので、シェアタクシーで移動。一台8000クワチャ(1280円)。
所要時間は40分くらいでした。
シェアをした地元客が刑務所勤務の婦人警察官で、刑務所内に職員の家があるため、タクシーはなんと刑務所内へ。
このムジンバの刑務所は居心地が良いことで有名で、刑期の軽い囚人が多く、刑務所の外に出歩くことも可能だそうです。マジか。
そんな、貴重な体験をした後にマニャムラに到着。
ベーキーさんの家は、トウモロコシ畑に囲まれたのどかな場所。
女性の一人暮らしのため、警備のおじさんもいます。
電気は通っておらずソーラーパネルで電気を取り、水道もないので外の水道からバケツで水を汲んできたり、雨水を貯めたりして使用。
ガスももちろんないので、調理や湯沸しは炭で行います。
お風呂はお湯を沸かして水と混ぜて、桶を使って浴びます。
蛇口をひねれば水が出て、コンセントをさせば充電できて、スイッチ一つで火が着く。
日本では当たり前の事が、マラウィではとても恵まれているということが分かります。
今日の夕食は、さっき買ったばかりの鶏を頂きます。
そう、自分たちで調理をして食べるのです。
肉を食べる時。普段は既に命なきものを食べていますが、今回は命を頂くところから始めます。
※ここから先に、人によっては残酷に感じる画像が掲載されています。血や内臓などが苦手な方はお気を付けください。子猫の画像が出ると大丈夫です^^;
鶏の足を押さえて、羽を踏み暴れないようにして目を指で塞ぎます。
日本のテレビで、これはストレスを必要以上に与えないためと見ました。
そして、ナイフで首を切ります。
一気にしないと余計な苦しみを与えてしまいます。
Shukuが行おうとしましたが、一気に切る踏ん切りがつかず、ベッキーさんにお任せすることに。
ベッキーさんは何度か経験しているので、一気に手際良く鶏の首を切ります。
鶏はしばらく痙攣したあと、静かに命を終えました。
命を自分たちの手で終わらせた事を、しっかりと心に焼き付けました。
その後は羽の処理。
鶏を熱湯に浸けて毛穴を広げ、羽を毟るように全て取り去ります。
これが意外と重労働で、日本のスーパーマーケットではツルツルの状態で売られているのですから、裏で処理をしてくれている方には本当に感謝です。
この状態になれば、スーパーマーケットでも一羽売りで売られている見慣れた状態。
ここからは、肉をさばいて行きます。
警備のおっちゃんに教えてもらいながらの処理。
鶏肉の捌き方にも順序があり、それに従って捌いていくと、部位ごとにとても綺麗に分かれていきます。
もも肉、手羽先、胸肉、ささみ、砂肝、レバー、心臓…etc。
さっきまで動いていたその肉は、温かく、とても美しい色をしていました。
調理の待ち時間は、子猫との戯れタイム。
そして、出来上がった料理。
命を頂きます。
すっげぇ美味い。
アフリカで食べた鶏肉の多くは、モモ肉であっても胸肉のようにパサついたものが多かったのです。
しかし、今回食べた肉はどの部位もプリプリとしていました。
新鮮な鶏肉ならではの、ささみのタタキをわさび醤油で。
これも最高に美味しかった!!
その後、料理で使った炭の余熱でお湯を沸かして、水と混ぜてお湯を浴びます。
炭で沸かしたお湯は、普通のシャワーよりもポカポカとして気持ちいい。
バケツに入った限られた水で浴びるので、いかに自分が日頃多くの水を消費しているか…水の大切さも分かります。
そんな感じで、マニャムラ1日目はすっかり眠くなって就寝…。
明日は、ベッキーさんの活動の一つである乳幼児健診の見学と、栄養の関する授業の見学にお邪魔します。
ディスカッション
コメント一覧
今から40年前、北海道の田舎町に住む祖母が養鶏場に鶏を買いに行って落として(絶命の意)て同じ手順で作業をしていました。興味本位に手順を憶え、次は従兄弟と二人でやると言って麻袋に三羽買って二人でやりました。たぶん9歳だったと思います。実際は途中、命を奪う鶏の眼が怖くなって麻袋の切れ端で鶏の頭を覆い切り落としました。その後も恐怖は続き脚を切り落とし、毛を毟ると再び得も言われぬ恐怖で毛を毟ることが出来なくなって、無意識に肉と皮の間に手を入れて皮ごと剥きました。肉の塊にはなったものの内蔵を抜き取るの厭で、近くの小川に行って肉塊を沈めて水の中でお腹を開いて内蔵を抜いて、祖母の手順を真似て内蔵の可食部を笊に入れて、祖母の元に行きました。何ともないような振りをしていましたが命を奪った衝撃は相当なものがあり、絶命する時の音や内臓から発せられた臭いは未だ記憶の奥底にあります。
父は無益の殺生をしてはならぬと釣魚は、自分の責任で捌きなさいとどんなに疲れいても私にさせました。この経験は自らの命が様々な犠牲の元に成立していることを実体験から学ばされた気がします。父は戦後、貧しい家庭に生まれ食物を粗末にすることを強く戒めてきました。半世紀を生き、豊かに苦労知らず故に本当の苦労を知らず齢を重ねてきた気がします。日本の社会はブラック起業や貧困社会と権利意識が肥大化し、苦労して働く社会を否定する風潮があるように思います。戦後や行動成長期の遺産を食いつぶし、自らの苦労遠ざけては、この国の未来は無いように思えています。日本人は常に母国を卑下し、高見ばかり羨望していればその反動の報いを受ける気がしてなりません。
美食やグルメは、楽しいことですが過ぎたれば及ばざるで本当に美味しい食事をしたければ、一日お腹が空かして食べればよいだけです。ご飯にお水をかけ沢庵1枚でも美味しい食事に変わります。私はこの感覚を忘れないように気を付けています。食は贅沢するものでは命を繋ぐ糧である原点を忘れぬためにも今回の様な経験はしておくべきだと強く思いました。とても良い記事でした(^^)
toripapanさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
僕の曽祖父は田舎に住んでいましたが、あらゆることができたそうです。
米作り、野菜作り、漁、養蜂、マムシの捕獲・・・etc
こうして発展途上国と呼ばれる国々を旅していると、特に地方では曽祖父のようなオールマイティな人々がたくさんいました。
昔、あらゆるものが不足していた頃は、みんな色々なことができたんだなぁと。
もちろん、現代のように色々な作業が分化して、質は大いに向上していると思いますが。
時折、何もできない自分が恥ずかしく思うこともあります。
生活の基本の衣食住、布も織ることができないし、米を作ることもできない、もちろん家を建てることもできない。
現代の日本では、農家の補助金はどうかとか、建築業の方々ををドカタと揶揄したり、中国製の服はうんぬんかんぬん…と、衣食住に関わる方々の職業に対するリスペクトが足りないのではないかなぁと感じます。
何か壊滅的なことが起こった時に、きっと自分は何もできないのだろうなと。
さらに遡って、命を頂いている生物達にもきちんとリスペクトして行きたいなぁと思った体験でした。