ナイロビのスラムを訪ねるツアーに参加!!その悲惨な現状と希望の光
ケニアらしいマッチ
どうも旦那です。
ケニアのナイロビに滞在中。
ここナイロビは東アフリカ1の大都会。
高層ビルや高級ホテルが立ち並び、スーツ姿のビジネスマンやオシャレなケニア女性が闊歩する街。
しかし、そこから少し離れると、鼻をツマミたくなる様な異臭を放つドブ川や、ゴミを漁りゴミの上で寝る人々、赤ん坊を抱きながら物乞いをする母親。。。
など、経済発展の中で生まれた格差を垣間みることになります。
ナイロビには貧しい人が集まる地域、いわゆるスラムがたくさんあります。
本来なら、どこの国や都市であろうと旅行者はスラムには絶対に立ち入ってはいけないと言われています。
単純に強盗に遭うことはもちろんですが、妬みによる暴行なども起こりえますし、何かあっても警察などの手が届きにくい地域でもあります。
今日は、そんなナイロビのスラムを観に行きます。
えっ!?危ない??
えぇ、僕たちだけでは絶対に行きません。いや、行けません。
なので、ナイロビの宿New Kenya Lodgeにスラムツアーをお願いしました。
料金は、一人1800シリング(20ドル)。
今回はエジプトのダハブで知り合ったシンヤさんとで人数が3人でしたが、4人以上だと少し安くなるそうです(1600シリング位まで)。
当日の朝、ガイドが宿まで迎えに来てくれます。
ガイドの名はジョセフ。
ジョセフは、今もキベラ地区と呼ばれるスラムの住人です。
スラムの中に事務所を構えて、ストリートチルドレンに対する援助を行っています。
その活動の一環として、スラムの現状を知ってもらうためにスラムを案内しているそうです。
基本的には、ジョセフとキベラ地区のスラムの街を歩きながら、疑問があればジョセフに質問をするという形です。
スラムの住民とじっくり話をしたりということはありませんでした(向こうから絡んでくることはありましたが)。
宿までジョセフが迎えに来てくれた後、ヒルトンホテル前のバス停からローカルバスでキベラスラムへ向かいます。
何気にローカルバスも初めてですし、宿の情報ノートにローカルバスで強盗未遂にあったという記事があったのでドキドキ。。。
スラム内は、インフラが不十分で決して清潔とは言えない環境でした。
特にトイレの数が不足しており、人々はビニル袋を代用品とし、路上に捨ててしまいます。
電気は停電はしょっちゅうで、ガスはもちろんなく、主な燃料は炭です。
飲料水は、各地区に大きなタンクがあり有料で買うそうです。
洗濯や食器を洗う様な雑用水は、川の泥水で行います。
市街を流れるナイロビ川も、ジョセフが子供の頃は泳いだりできたそうですが、スラムの人口がどんどんと増えていく中でどんどんと汚されていったそうです。
ただ、スラム内は僕が事前に想像していたような、ただ仕方なく住んでいる状態(例えば難民キャンプの様な)では、ありませんでした。
人々は野菜を売り、炭を売り、サモサを揚げ、服を売り、携帯電話を売りと商売をし、スラム内で経済が回っているかのようです。
南米のスラムの様に、職のない若者たちがたむろし、飢えた獣の様な目でこちらを見ている様な感じは一切ありません。
皆、何か目的を持って動いており、たまにやってくるツアーの外国人を珍しそうに見る程度でした。
子供達は、「ハワーユー!!(How are you!!)」とかわいく手を振ってくれます。
手を振り返すと、ちょっと照れくさそうに、そして嬉しそうな顔をしてくれます。
あぁ、エチオピアの「ハローペン!!」と「ハローマニー!!」の子供達に爪の垢を飲ませてやりたい。。。
ジョセフは何箇所かの地区を回ってくれましたが、それぞれに個性があって興味深かったです。
ある場所は岩場の坂に並び、ある場所は細い路地が迷路の様になっていたり。
しかし、どの場所も立地は最悪と言っていい場所ばかり、、、。
道路に描かれたPEACE
さらに政府が道路を建築するために、スラムの一部を強制撤去。
撤去された人々は、より過酷な場所に移動するなどの悪循環が続いています。
いくつかジョセフに質問。
Q:ケニアには、豊かな自然があるのだから地方に行って農業などをしないの??
A:地方で生活する方がお金が掛かるし、地方に行くための先立つモノがない。
Q:スラムの中で良くバナナの皮を干していたけど、どうするの??
A:干したバナナの皮を発酵させて酒を作る。自分たちで飲むために。
Q:スラム内に警察署はあるの??
A:警察はスラムの外にある。何かあれば警察は来るが、あまり当てにできない。
Q:なぜスラム内に「HOTEL」がたくさんあるの??
A:ケニアでは「HOTEL」は食堂という意味。だからスラムにある「HOTEL」はみんな食堂だよ。
Q:ケニアの学費は一年でどれくらい??
A:高校で年間550ドル位〜。
などなど、勉強になりました。
とても大変な環境ですが、意外と住民の服装なども清潔で、子供達の目も輝いていたのが救いでしたね。
歩いていても、可哀想という感情は生まれませんでした。大変だとは思いますけど。
このキベラ地区は、ナイロビにいくつもあるスラムの中でも比較的マシな方らしいので、他の地区はもっとひどい惨状なのかもしれませんが。。。
とにかく、こればかりは政府の対策を期待するしかありませんね。
ジョセフや他の援助団体が行っている草の根運動はもちろん大事ですが、全体的な改善を行う援助には限界があるようにも思いました。
ただ、きちんとした教育を行うことは、数十年後に必ず実を実らせるはずですから、これからのケニアに期待したいですね。
以上、ナイロビのスラムを見学してみました。
明日は、ケニアといえばサファリ!!の肩慣らしに行ってきます。
ディスカッション
コメント一覧
時折、立ち寄らせて頂いてています。僕は家内が中国人で活動フィ-ルドは中国と東南アジアと中央アジアの一部です。スラムの姿は東南アジアや中国に通ずるものがあります。スラムの中に貧しい経済世界があり、その中で細々と循環しているのは、本当に良く似ていると思いました。ある程度の都市規模で働く事に生活の基礎を見いたせれば貧しくとも働くのだと思います。先年、ミャンマ-の選挙時とその後に二週間ずつ、無電化地帯を歩きました。高床式の家は茅葺きで煮炊きをすると集落全体が煙るその風景は、余りに俗世離れしていましたが、食事が出来ている証左があの煙であれば非常に解りやすいバロメ-タなんだなぁと少し感慨深く思いました。以前、家内が「日本人は今の中国政府を非難するけど、中国人の思う功罪を理解していない。罪より圧倒的な功は、国民が飢えなく食べられるようになったこと。飢えた事の無い日本人には理解出来ないでしょうけどね…それだけで十分に政府は評価できるのよ…」と僕はイデロギ的には共産とは相反する立場にありますが、人が生きるために食べれれば究極的にはイデオロギや宗教なんて二の次になると思っています。このスラムに住まう人への救いが新たな経済を生み、社会を改革する原動力になることを気付き、正しく実行できる為政者の出現を願わずにいられません。エチオピアのマネ-をせびる子らと中国山岳部で観光客慣れした少数民族の子と随分と被る思いがありました。それもある程度の化経済の進展で過去のものとなりつつあります。
toripapanさん、コメントありがとうございます。
未だ訪れていない中国やミャンマーの様子、世界には同じような環境がたくさん残っているのですね。
その中でも戦争や内戦での武器が戦後に残ってしまった中南米・アフリカなどは、非常に危険な環境になってしまっているように感じます。
どうか穏やかにケニアのスラムが消滅して、全国民が経済活動の恩恵を受けられる国になることを願っています。