はなと私の16年(330日目 アルゼンチン13日目)
朝ご飯が豪華だった宿ともお別れしてここ、チリのプンタレナスからアルゼンチンのウシュアイアにむかいます。
バスで12時間。これぐらいかかる時は普通は夜行で移動やけど、チリからアルゼンチンの国境をこえる為、昼便しかありません。
9時に出発したバスは21時に到着予定。
途中で、マゼランさんが発見したマゼラン海峡を渡ります。マゼランさんは世界一周を初めてした人。
バスに乗ってるといつもはなのことを考えるのが当たり前になっていて、今までは、いつ帰ろうかな?って具体的に計画したり、帰ったらどんな反応するかなって想像したり、足が弱ってきた時はどんなハーネスがいいかなとか、オムツそろそろ必要かなとか床ずれ予防にはどうしたらいいかなとか、今何が食べたいかなとか、はなに必要なグッズを考えたりしてたけど、もうそれも必要なくなったから、今までのことを考えてた。
ってことで、ここからは自分の為の文で長いので興味のない人はスルーして下さいね。
そして思い出すときりがなく、書ききれなかったから、続きは少しずつ書いていく予定。なので、いつも文は中途半端できれてます。
私は小さい時から犬が好きで、でも家で犬を飼うことが禁止だったら飼えず。
近所の外で飼われている犬のところへ毎日遊びに行って、散歩させてもらってた。っていうのもあって最初はケーキ屋さんだった夢もだんだん動物にかかわる仕事につくことにかわっていった。
高校卒業後の進路で、動物の専門学校に行きたかったけど、専門学校は高くて家にそんなお金はないの知ってたから、奨学金がでる新聞配達に募集したけれど、専攻に落ち、仕方ないから1年働て学費を貯めてから行くことに。
結局1年じゃ貯まらず専門学校に入学するのはそれから2年後の4月。
そこで、ドッグトレーニングの授業を受け持ってくれた先生が隔月の日曜日にしつけ教室を姫路市で行っているらしくその隣で譲渡会も行われているときき、母を無理やり連れてその会場へ。犬を飼うこと、いいとは言ってないっていいつつ、あんたが自分でお金を貯めてまでやりたいことならと渋々行くことにしてくれた母。父はもともと犬は大好きで飼いたかったらしく最初から味方やけど、父の家での権力は弱いのです。ついでに一番反対してたのは、おばあちゃん。犬を鬼門(玄関)に入れるなんて許さんって最後まで言ってました。。
それがその年の6月の日曜日。
会場には、たくさんの犬達。その中に2月14日生れのタグをつけられた子犬が2頭。1頭はとっても愛想がよくて手をだすと近づいてきてくれ、1頭はジーっとただ座っている愛想のない子犬。もちろん愛想のいいほうの子犬がよくてその子を抱っこしたけど、まだ飼うことを本気で許してなかった母はもう少し考えたら?って抱っこしてた犬をおろして、しつけ教室の見学とかしている間に、その子はだれかにもらわれていったのでした。
で、どうしようかな?次の機会にするかな?って思いつつ会場のぞくとあの愛想のないほうの犬がのこってる。。
何度見てものこってる。そら、子犬なのにそんなにクールやったらもらい手ないでって思いつつ気になり何度ものぞくけど、最後まで残ってる。
最後まで残った犬は、そのまま保健所に行ってそのまま処分される(当時の話)ってきいてたから、もうほっておくこともできず。。連れて帰った愛想のない犬、それがはな。
いろんな偶然が重なって出会えた、私のパートナー。
譲渡会に行く前は100%飼っていいよの許しがでてなかったから、何の準備もなく来てしまったから、ビニールテープでリードを作って、ばれないようにスポーツバックにいれて電車に乗って連れて帰ったのでした。しかも必要なもん買いに行ったのも、はな連れて帰ってからやし。もう今やったら信じられんことやってるな私。しかも地元の駅から家までは自転車の前かごに乗せて帰ったし。初日にして自転車のかごデビューしたはな。この日から何度も自転車のかごに乗ることになるのです。
そんな無茶苦茶な道中でも私を飼い主と認めてくれたらしく、やっと犬飼えたよーってその日のうちに友達に見せに行った時のこと。
私はスーパーに買い物があってその間、はなを友達に持ってもらっていたら、その間友達が何してもひたすら無視して、ずっと私が入ったスーパーの入口を見てたみたいで、私が帰ったらしっぽふって喜んでくれた。それ、きいた時、メッチャ嬉しかったなー。
家にきた時からトイレは外って決めてたみたいで、トイレの為に買ったトレイもその日のうちに寝床に。
それ以来、亡くなるまで外で排泄したがって、ちゃんと最後まで外で排泄しました。それがあったから寝たきりにならなくて済んだんだと思う。床ずれもできなかったし、後ろ足ささえてもらってやけど、最後まで自分で歩いて排泄行ってたそうです。だから用意したオムツも使わないまま。
もちろん、2時間とか3時間おきに排泄に連れってってくれた両親に感謝。本当に両親もはなをかわいがってすごくよくお世話をしてくれました。
私の通っていたのは、動物の専門学校。なので、学校に犬連れてっていいって許可をもらってすぐに連れて行き始めた学校。私がパソコンの授業とかで、はなを連れて行けない教室の時は実技のある他のクラスに預かってもらって別々で勉強。はな、昔はホンマに何もできなかったから、預けられたクラスの人も先生も大変やったと思う。けれど、それを受け入れて毎回預かったくれました。だってこの頃は、トレーニングしてなくて、はなケージにはいれなかったから、どこかの教室で待機ってこともできなかった。
預けるクラスの子はその時は友達でもなんでもなく、ある日から犬を預けて去っていく私はかなり変な人やったやろなと思います。
その頃、車なんて持ってなかったし、学費もまだ2年分はたりなかった私。節約の為に自転車で学校まで通ってたから、必然的にはなも自転車で通うことになるわけで。1人やったら30分でいける道のりやったけど、
はなを自転車の前かごに乗せて、橋3つこえて、途中休憩にいろんな公園によりながら1時間ぐらいかけて通った学校。途中の公園でなぜかホームレスのおじさんに真っ新のハムの塊をいくつももらったのが未だに謎。途中の公園は季節によって桜が咲いたり、バラがさいたり、紅葉になったり。時には寒くって休憩をとばして家に早く帰りたかったり。
学校のあるところは、大阪の西区なんやけど、たまに午後の授業の場所がかわって広い場所でアジリティーの練習がある時なんかは、お昼休みの間に必死にチャリこいで鶴見区まで行ったもんです。うん。あの頃は私もはなも体力あった!
楽しく教えてくれたから、はなもアジリティーが大好きだった。
三田のしつけ教室の先生の所に行くのも車なくて、しかもまだはなのクレートトレーニングができていなくて、スポーツバッグに無理やりつめこんで行った時もあったなー。乗り換えで車掌さんに見つかってプラットホームからでなさいって言われて一度はでたけど、電車がきたのをみて、見つからないように飛び乗ったのです。若かっな私。
その帰りは、先生に家まで送ってもらった助かったのでした。最初は車酔いしてたはなだったから、先生の車をゲロで汚したこともありました。それでも何度も乗せてくれた先生に感謝。
みんなもだんだん自分の家の犬を連れてくるようになったから、専門学校で犬のトレーニングの授業のある時は、はなと同じ年の犬達がたくさんきてて、お昼休みはみんなで遊んだり、授業中は、一緒に勉強したり、イベントに参加したり一緒にキャンプにいったり、犬達も楽しそうだったなぁ。
はなは、人よりも犬が大好き。特に追いかけてもらうのが大好きでよく走りまわっていました。しかもちょっとずるくて、壁の直前で急に曲がるから友達の犬が曲がり切れずに壁にぶつかったり、穴におっこちてしまったり。
学校以外でも、はなには犬友達がたくさんいて毎日公園で集まっていました。特にボスって男の子がはなのこと気にいっていつもはなの後ろをついて歩くからボスのおっちゃんが本を出版した時に、はな、一番最初のページにのせてもらって、もらった本は今でも宝物。
ぺピイの雑誌のCMにもでたことがあった。早朝で期間も短かかったんやけどね。
オーデションに受かる為にいろんな作戦たてたからオーディション中はメッチャ賢かったんやけど、撮影本番は、知らない人にリード持たれていろんな機材にかこまれて、知らない人もいっぱいで暑い暑い初めての河川敷での撮影。リード引っ張りまくって全然言うこときいてなかったなー。もっと後やったらいつでもどんな時でも誰のいうことでもきくようになってたのにね。あの頃は、はなも若かった。だからできあがったCMもよくみると、優雅どころか必死にリード引っ張って歩いてた。。あれはあれで、元気な犬って感じでよかったのかな。それにしても何度もリハーサルするんやもん。撮影の大変さを勉強させてもらった。
初めてはなが稼いだお金。それで折り畳みできるケージを買いました。はなからしたらピーピーなるおもちゃいっぱい買ってよねってはなしやったやろうけど。
老犬になってからは、食べ物が一番好きだったはなだけど、若い頃一番好きだったのは、犬達と走り回ったりじゃれたりすること、その次は、ピーピーなるおもちゃを追いかけること、ペットボトルやサッカーボールを蹴ってもらうこと、虫を狩ること、バトミントンの羽を追いかけること、新しい場所のにおいをかぐことなどなどで、食べることにはまったくと言っていい程興味なし。ドッグフードは嫌いで毎日のご飯も必ず残す。どっかにでかけた日とかメチャクチャ運動した日は全部食べるしもっと欲しそうな時はあるけど、そんな日はほとんどなく、だから10歳ぐらいまでは、はなが食べたいだけ食べさせてた。ベスト体重を自分でコントロールする犬だったから。
ホンマに食べ物の好き嫌いは、はっきりしてて、クッキーやボーロなど炭水化物系はまったく食べない。
ササミジャーキーやチーズ、レバーなどは喜んで食べる肉食系。そんな大好きな食べ物もおもちゃや他の犬の前では食べず、遊ぶことを優先していた若い頃。10歳過ぎた頃からクッキーやボーロなど炭水化物系もなんでも食べるようになってそこから遊ぶことよりも食べ物LOVEにだんだんなってった。飼い主的には少し寂しかったけど、好きなものは、年齢や時と場合、環境によってかわることを教えてくれたのです。
オーストラリア研修に行った時にお土産で買った牛皮のガム。はな、絶対喜ぶやろうと思って高いのに買ったのにまったく食べなかったショックな出来事もあったなー。他の犬にあげたら喜んで食べてたのに。
そんなこともあり、手作りご飯をあげてた時もあった。喜んで食べてたから続けようって思いつつめんどくさくってやめちゃった。だから特別な時だけあげることに。最後の何か月かはお母さんが毎日手作りご飯作ってくれて、それを喜んで食べてたみたい。そーだよねー。乾燥したドッグフードより新鮮な材料作った出来立てご飯がいいに決まってるよね。
自分で食べにくそうな時は手からあげてくれてたみたい。最後の3日間は、食べにくそうに口にいれてはゴホゴホしてたみたいだけど、はながそのご飯も食べなかったのは、亡くなる日の朝だけ。
しんどかったんやろなー。それでもその日の朝、お父さんと1回、お母さんと1回、2回もいつものように外にでて。
でも、はなは、外がとっても好きだった。
家の都合ではなを家の中で飼えなかった私。はながはいれるのは、玄関まで。外と玄関を行き来できる場所。
お父さんは家で飼っても大丈夫派だから、お母さんがいない時は家にあげて遊んだりしたけど、やっぱり家で飼うよりも触れ合いが減ってしまうし、はなも寂しいんじゃないかなって感じてた私
ある日の専門学校の授業の時に習ったこと。犬のストレス発散は大事で自分も負担なく発散させる方法の1つとして、ほんの少しの用事でも犬を連れて行ける時には一緒にいく。そうすると同じ時間に少しプラスするだけでわざわざ犬のために時間をさかなくても自分の用事も終わらせるれるし犬の発散もできる。
例えば、ゴミを捨てに行くとき、郵便をだしに行く時、近所に回覧板を届けに行く時。本当に日常のちょっとした時間の活用。
これって当たり前っていったら当たり前やけど、実際に本当に少しの手間をかけるだけで、はなと過ごせる時間が増えて一緒に疲れてくれるから一石二鳥。
だから私はそれからはなを連れて行けるところには極力一緒に行くようにした。
それは本当に近所から遠くまで。
歩いても行ったし、自転車の前かごに乗せても行ったし、車でも行ったし。
初めて遠出したのは専門学校の夏休みの行事で行ったサバイバルキャンプ。そこで初めて教えたアップ(チンチン)は、はなが初めてできるようになったトリック。次は歩腹前進やったかな。
それからはなは、本当にたくさんのことを覚えてくれたし、できるようになった。
普通のお座り、ふせ、待って、おいで、ついて歩くことから、バック、ほえろ、ゴロン、ハイハイ、ハーイ、バックアラウンド、ジャンプ、まわれ、新聞もってきて、地面をほって、靴下脱がせてなどなど、もう書ききれないぐらい、いろんなことがわかってたよね。いっつも飼い主の思い付きに付き合わされるはな。10歳過ぎてから、フリスビーを教えようとする飼い主にもちゃんと付き合ってくれました。
無理はしない性格のはなやから、近くに投げたフリスビーはとるけど、遠くになげたのは、とことこ歩いて行って地面に落ちたのを拾って持ってきてた。
それにしても、持ってこいを教えるのには苦労しました。
何回あきらめかけたことか。いろんな方法で教えて、できるようになってからはいろんなものを拾って持ってくるのは、はなの得意技になってました。
最初は苦労して教えたいろんなこと。最初は安定しなかったデモストレーション。いつから、いつでもどこでも確実にできるようになったんだろう。
はな、びびりやったから、小さい頃、耳掃除の液のついた綿で耳触っただけで、ドアの隙間に逃げ込んで1時間ぐらいでてこなかったり、風船がわれる音が苦手で、イベント中のデモしてる時に風船われた時、もうデモどころではなくて舞台の上にいることすらできなかったのになぁ。いつからかな?どんなに怖いことがあってもすぐに切り替えて集中してくれるようになったのは?苦手やった人を受け入れてくれるようになったのは?
今でも言われるよ。職員室の先生に。昔、俺の足噛んだやろって。男の人が特に苦手で近づくだけで吠えてたのにね。いつからか吠えなくなって、触られることも許すようになったなぁ。
本当に少しずつ成長して、いい子になったから、昔からはなを知ってる人のイメージと、いい子になってからのはなを知ってる人のイメージはだいぶ違う。
最近は誰からも穏やかでいい子やねって言われるけど。はなが教えてくれたこと飽きられずに続ければ大丈夫。
最初は一緒に出かけるのは体力いりました。だってこっちが気を付けとかな、吠えるし噛みそうになるし。そのおかげで私は犬のボディーランゲージよむのうまくなったと思う。事前に対応する大切さも学びました。継続する大切さも。いつからだろうなー。そんなに気を張らずに安心して出かけられるようになったのは。
はなも最初は初めての場所に行くと家ついた瞬間から死んだように寝て相当疲れてたけど、だんだん初めての場所に行っても疲れなくなってきてだんだんだんだん、はなと一緒にできることが増えてった。
話はそれてしまったけれど、本当にいろんなところに一緒にお出かけしました。
専門学校の友達とドッグカフェ巡りをするのがブームな時もあったし、犬全然関係ない友達ともキャンプや畑などはなも行けそうなところに行く時はお願いして連れてってもらった。
近畿にある公園で大きい公園はほぼ制覇したんちゃうかな。水が嫌いなはなやったけど、暑い日は自分から水にはいりたがったから困った。だって、淀川も大和川もきたいないねんもん。飛び込んだ日はすぐにセルフシャンプーへ。
暑い日は、いつもの公園のきちゃない水溜まってる石の穴にジャンプしてはいったり、噴水にも飛び込んでたなぁ。
海沿い散歩してる時に釣り人が置いてったオキアミに身体すりつけたこともあった。あの時は最悪やった。メッチャ臭かったけど夜やから洗えず、次の日に洗ったけど、寝どこまでメッチャくさくて洗っても洗ってもしばらくとれんかった。はとの死骸を掘り起こして身体をなすりつけたこともあった。臭いにおいを身体につけたがって、シャンプーしたあとは絶対にすぐに地面ですりすりしてました。
一番遠いところは、石垣島にも行ったね。10歳にして初めて飛行機に乗ったはな。
島内はレンタカーでまわったんやけど、妹の子供も一緒でチャイルドシート2つに、はなのケージ、大人2人の車内は狭かった。竹富島では牛見てメッチャびびってた。
私が日本出発前には妹家族に会いに愛媛県
長野県では、きのこ狩りを一緒にしたり、ボートに乗ったりラフティングしたり。はな水嫌いやからキノコ狩り以外は迷惑そうやったけど。
ボートが岸に近づいた一瞬で岸にジャンプした時もあった。
若桜でロッジに泊った時、大阪とのあまりの気候の違いにぐったりするぐらい体調不良になってあの時は本当に心配した。次の日には復活してたけど。それにしてもホンマに健康やったなー。調子悪い時は動かず食べず1日で治してたから調子悪くて動物病院行ったんは15歳以前は、私の記憶では2回だけ。1回目はいつも1日でぐったり治るのにその時は1日じゃ治らなかったから2日目に連れてって点滴してもらった時。
2回目は、右に頭傾けて変な歩き方するから見たら耳が腫れてて、耳血腫。一回、耳にたまった水抜いてもらったらそれ以降はたまることはありませんでした。そっから耳の形はチョットおかしくなったけど。
蒜山のキャンプの時はクーラーボックスから器用に魚を盗んだし、隠岐の島では、天ぷら油ひっくり返したしそんないたずらもいい思い出。
季節ごとにいろんなものをはなと一緒に見に行くのは毎年恒例の行事になってたね。
春は、梅に桜。
夏は蛍を見に行ったりどこかに泳ぎに行ったり、
秋はきのこ探しにすすきに紅葉。
冬は雪山を歩いたり初詣に行ったり
専門学校では、ほぼ、はなと一緒やったから、たまにはな連れてないと、はなおらんかったら誰かわからんかったって学生さんに言われるぐらい。
16年通った学校は、曜日ごとに違う教室は、はなの庭みたいなもんで行くの楽しそうやったなー。学校に教室にももkyは思い出いっぱいあるもんね。愛想なかったけどみんなにいっぱいかわいがってもらったしね。
優良家庭犬テストにも合格したね。一発合格。いろんな作戦たててみんなで一緒に練習して。苦手なお散歩項目クリアできた時が一番嬉しかったなー。ここは絶対ってところでは絶対にきめてくれたはな。
ホンマに何回も助けられたなー。笑いもとってくれたから、初めてのしつけ教室も訪問トレーニングも授業もセミナーもイベントも初めての仕事の時は一緒にいてくれたのになー。心強かった。
私のパートナーは、はな以外考えられへん
どーしょう。帰ったら。いつもお見送りしてくれた玄関に。迎えてくれた玄関に、はながいないことが想像できひんよう。
散歩行く時、ハイキングする時、キャンプする時、仕事に行く時。一緒やった場面ではながいないこと耐えれるかなぁ。
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