チェルノブイリ博物館へ、そして福島を思う。(475日目ウクライナ13日目)
どうも旦那です。今日も引きこも・・・ろうと思ったのですが、久しぶりに出掛けましょう。
今日はチェルノブイリ博物館に向かいます。
チェルノブイリと言えばみなさん思い浮かぶのが原子力発電所の事故でしょう。1986年のことになります。当時、他人事のように聞いていた事故のニュースも、福島の事故があって以来きちんと知ることが必要なことの一つになりましたね。
チェルノブイリはロシアにあると思っている方も多いと思いますが(僕もそうでした)、実はウクライナにあります。場所はキエフの北です。
地図を見るとチェルノブイリとキエフはかなり近いことが分かりますね。そして東京と福島の関係にも通じるものがあります。
また、チェルノブイリからキエフに川が伸びている様にも見えますね。なるほど、キエフの人がミネラルウォーターを買っている理由が分かる気がします。
ちなみにウクライナの北にはベラルーシという国があるのですが、実は事故が起きたウクライナよりもベラルーシの方が被害が甚大で人の住めない土地が未だに広範囲に渡っているそうです。
入り口付近には、豊かであったチェルノブイリ付近の自然の展示があります。
福島の事故のコーナーが設置されていました。この施設、実は日本の援助も受けて作られているので、日本語のオーディオガイドがあります。
しかし、まさか自国の被害を掲載するとは援助当時には夢にも思わなかったでしょうね。皮肉なものです。
二階へ上がる階段です。道路にある町の名前の看板の様に見えます。裏から見ると・・・
赤いナナメ線が入っています。そうです、これら全ての町が事故によって人が住めない町となりました。。。
2階がメインの展示コーナーです。1986年4月26日午前1時23分人類史上最大の原子力事故がチェルノブイリで起きました。
当時の事故の対策に当たった人々の服が飾られています。警察や消防士は防護服ではなかったんですね。
発電所職員、警察、消防、軍隊、トンネル作業員、他様々な人が事故の対応に当たりました。そして多くの方がその後急性放射線障害で亡くなりました。
当時のメモや遺品が飾られています。
こちらはチェルノブイリの町から避難する人々です。約11万6000人の方々が故郷を離れる事になりました。
事故直後の上空からの写真です。ぐちゃぐちゃですね。いかに事故が凄まじかったかを物語っています。
その後、事故があった建物はコンクリートで完全に覆われました。
福島の事故でも使われていますが、当時から無人ロボットは導入されていたんですね。
原子力発電所に関連する世界地図パネルです。光は何かしらトラブルのあった場所でしょうか??
日本はちょっと明る過ぎますね。。。
チェルノブイリで作業に当たった方が日本で後援会を行ったこともあったようです。彼らは福島の事故を聞いてどう思ったでしょうか。。。
博物館の外には、実際に作業で使われた車が並んでいました。除染済みとの言葉が添えられて。
色々と考えさせられましたね。どうしても想定外の事故がなくせないならば、やはり徐々に減らしていく方がいいのかも知れません。世界地図を見ると日本の国土には現在の数は不釣り合いに思えます。
人口比で見れば違うのでしょうが、事故が起きれば土地にダメージを受けるわけですから、狭い日本の国土であの数はちょっとハイリスクな様に感じました。
ただ一気に止めるのはどうかと思います。長い年月をかけて増えたものですから、それなりの年月を掛けて減らす必要があると思います。極端な行動には、必ず歪みが生じますから。
みなさんも、キエフにお越しの際はぜひ訪れてみて下さい。ではでは。
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